東京高等裁判所 昭和43年(う)2505号 判決 1969年3月31日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人金子作造作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用し、これに対し一件記録を精査し、かつ当審における事実取調の結果をも参酌した上次のように判断する(なお弁護人金子作造同高橋滋共同作成名義の控訴趣意補充書は控訴趣意書差出期間経過後に提出されたものであるから、これについては判断しない。)。
一、控訴趣意第一点、原審の訴訟手続には法令の違反があり、かつ右違反が判決に影響することが明らかであるとする主張について、
案ずるのに、原判決がその(罪となるべき事実)中の第一において、これに相当する公訴事実と一部の具体的状況、および過失の具体的行為を異にする事実認定をなしていることは誠に所論のとおりである。然しその具体的状況というのも被告車が当該地点において一時停止したか否かに過ぎないのであつて、その何れにせよその業務上の注意義務に変更を来たすものとは認められないから、かかる多少の事実認定の相違のある場合にまで訴因の変更を要するものとは認められない。また過失の具体的事実についてこれを見るのに、起訴事実が「……前車の動静に十分注意し、かつ発進に当つてはハンドル、ブレーキ等を確実に操作し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、前車の先行車の発進するのを見て自車を発進させるべく、アクセルとクラツチペタルを踏んだ際、当時雨天で濡れた靴をよく拭かずに履いていたため、足を滑べらせてクラツチペタルから左足を踏みはずした過失により自車を暴走させ、未だ停止中の前車後部に自車を追突させ…」というに対し、原判決は「……このような場合はハンドル、ブレーキ等を確実に操作し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、ブレーキをかけるのを遅れた過失により、自車をその直前に一時停止中の川名俊子運転の普通乗用自動車に追突させ……」と認定したものであつて、その差は同一の社会的事実につき、同一の業務上注意義務のある場合における被告人の過失の具体的行為の差異に過ぎないのであつて、所論のいうように公訴事実の過失と原判決認定の過失とが本質的に異るものとは認められない。ところで法が訴因およびその変更手続を定めた趣旨は、その審理の対象、範囲を明確にし、被告人の防禦に不利益を与えないためであると解せられるから、裁判所は被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がないものと認めるときは、公訴事実の同一性を害しいな程度において、訴因変更の手続をしないで訴因と異なる事実を認定しても差支えないものと解するのを相当とする。本件についてこれを見るに、検察官は被告人の司法警察員、検察官に対する従前の供述内容に基き公訴事実を定めたものと認められるところ、原審においては職権をもつて被害者川名俊子を証人として尋問し、右証言と原判決挙示の他の関係証拠とを綜合して判示具体的過失行為を認定したものと認められ、かつ右川名証人の尋問には被告人および弁護人ともに立会い、十分な反対尋問の機会が与えられているのであつて、前記の如き事実関係の変更により被告人の防禦に何等実質的不利益を生じたものとは認めることはできないから、原判決がこれと同趣旨に出で、訴因変更の手続を経ないで判示の如く訴因と異なる事実を認定したとしても何等不法ではない。所論は理由がない。
一、控訴趣意第二点、原判決には法令の違反乃至事実誤認があるとの主張について、
(一) 公訴事実第一(原判決認定第一事実)について、
所論は要するに、原判決は証拠の取捨選択を誤り、延いて事実を誤認したものであると主張するけれども、原判決判示第一事実はその挙示する関係証拠により優にこれを認めることができる。所論は原判決認定のように「ブレーキをかけるのを遅れた過失により、その直前に一時停止中の川名俊子運転の普通乗用自動車に追突させ」との事実を認めるに足りる証拠は、関係証拠中原審証人川名俊子の証言を外にしては見当らないのであるが、右証言にしても「かなり衝撃があつたので止まつてから飛び出したようには思われません」というのであつて、単に同人の推測に過ぎないのに対し、被告人は取調の当初から公判の段階に至るまで終始公訴事実どおりの事実をのべており、かつ捜査を担当した露木弘之巡査の上司に対する報告書においても、被告人の供述に副うような被告人の過失によつて事故が発生した旨記載しており、右川名の証言に副うような記載は何等存しないのであるし、その他の証拠に照しても右川名の証言は措信し得ないものであるにもかかわらず、被告人の供述を退け右川名の証言を採用した原判決は証拠の取捨選択を誤り、延いて事実を誤認したものであると主張する。然しながら、右川名の原審における前記証言はその現実に経験した事実に基く推測を述べたものであり、かつ右推測は十分経験則に適つた合理的な推測であつて、これを証拠として採用するのに何等妨げるところはない。また右川名の供述は一回だけであり、被告人が数回に亘り終始同様な供述をなしているからといつて、川名の証言を信用できないとし、被告人の供述を信用しなければならないとする何等の採証法則もないし、露木巡査作成の本件についての交通事故発生並に捜査報告書の事故の概況中に記載されているところが、被告人の供述に副うものであり、前記川名の証言に相応する記載がないからといつて、直に右川名の証言を信用することができないとすることもできない。その他所論第二点第一の(六)主張の各事実を考慮に入れても右川名の証言を信用できないとする何等の理由をも見出し得ないから、原判決が右川名俊子の原審証言を採用し、被告人の供述を措信しなかつたからといつて、原判決には何等採証法則に違反したところはなく、かつ川名の証言を含め原判決挙示の関係証拠を綜合すれば、優に原判決第一事実を認めるに足りるから原判決には事実の誤認もない。所論は理由がない。
(二) 公訴事実第二(原判決認定第二事実)について、
所論は原判決挙示の関係証拠のみをもつてしては原判決第二事実を認めるのに十分ではないし、またその採用した証拠についても証拠の取捨選択を誤つた違法があると主張し、なお衝突の状態が判示の如きものであるとするならば、被害者山田もとについては、その左側面に損傷のあるべきであるのに、その側には損傷はなく、却つて右中指、右眼窩部に損傷のあるのは不可解であり、これが合理的理由を明らかにする何等の証拠もないから、原判決にはこの点において審理不尽があると主張する。然しながら原判決判示第二事実はその挙示する関係証拠によつて優にこれを認めるに足り、また所論に基き一件記録を精査検討しても、原判決に証拠の取捨選択を誤つた違法があるとも認められない。そして医師亀田郁太郎作成の山田もとの診断書によれば、被害者山田もとには右側部に傷害のあつた事実の記載があるが特に左側部の傷害の記載のないことは誠に所論のとおりであり、右左側部の傷害が如何にして生じたかは必しも明らかではないけれども、原判決の認定の如き過失行為によつても右の如き右側部の傷害が生じないとすることはできないばかりでなく、原審は当時被害者の唯一の同行者であつた山田冨士子(当八年)および事故の現認者ではないけれども、事故に接着して現場を通行し、事故の直後現場を見分した警察官露木弘之を証人として尋問しているのであるから、その審理は尽すべきを尽しているものというべく、原判決には所論のような審理不尽はない。なお記録を精査しても本件事故につき被害者山田もとにも一半の責任があるとする証拠はない。所論は理由がない。
一、控訴趣意第三点、量刑不当の主張について、
所論は原判決が被告人に対し実刑を科した量刑の措置は重きに過ぎる。被告人に対しては諸般の情状に照し刑の執行を猶予するのが相当であるというにある。
よつて案ずるのに当審における事実取調の結果によれば被告人が川名俊子のため自動車修理代として一万一、〇〇〇円、病院の診療費として三、三〇七円を支払い、川名輝男のため病院の診療費として六、五二五円を支払つたこと、山田もとのため病院の診療費として一万五、七九四円を支払い、また山田もとの遺族に対し自動車損害賠償責任保険による賠償金として三〇一万三、八五〇円が支払われることになつていることを各認めることができるけれども、本件における被告人の過失が所論のいうように軽いものであるとは到底認めることはできず、また被害者山田もとに本件事故につき一半の責任があるものと認められないことは前に説明したとおりであつて、一件記録により認められる本件各犯罪の罪質、態様、その重大な結果に徴すれば、被告人の責任は極めて重く、かつ被告人には必しも改悛の情があるものとは認められない事実に照せば、前記診療費等の支払、被告人の年令経歴家庭の事情等記録に現われた被告人に有利な一切の事情を併せ勘案しても(ただし、トンネル内の照明が悪いとか、被告人のことを意に介せずライトを照した対向車にも責任があるとするが如き主張は何等被告人の責任を軽減する理由とはならない。)、被告人に刑の執行を猶予するまでの情状があるものとは認められないのは勿論、被告人を懲役一年に処した原判決の量刑を重きに過ぎるものとも認められない。本所論も亦理由がない。
よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則つてこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。